北海道・東北の武将「蘆名盛氏」・・・その2
盧名家には指南制度という軍事制度があって有力家臣は中小領主を統率する軍事指揮官でもありました。
これら有力家臣が下剋上の波に乗って叛乱し、一時は十三代盛高、十四代盛滋父子をそれぞれ巻き込み、文字通り家中を二つに割る戦いにまで発展するが、戦火は会津領の外に及ぶことはありませんでした。
室町時代の藍名氏は自ら会津の守護と称し、伊達、岩瀬、石川氏らと勢を合わせ、岩城、結城氏と戦うなど、事実上守護権能を発揮している。
厳密にいえば会津守護はあり得ません。
天文七年(一五三八)に後奈良天皇哀筆・の般若心経が国別に一巻ずつ配布安置されたが、その一巻が藍名盛舜のもとに遣わされました。