北海道・東北の武将「蘆名盛氏」・・・その4
伊達家の「天文の大乱」には舅の植宗に味方したが、のち晴宗方に転じ、その動乱に乗じて勢力を仙道中通りに伸ばすなど、藍名氏全盛時代を現出しました。
永禄六年(一五六三)の幕府の記録に、奥州の大名として、それを代表する形で伊達・藍名の二氏だけが遇されています。
その領土は南山(南会津地方)を除く会津一円はもとより、安積一郡と岩瀬郡西部の、仙道中通り地方に及び、さらに越後蒲原郡小川庄(新潟県東蒲原郡津川町)を併せ、勢力は白河、須賀川、二本松、田村の諸氏にまで及びましだ。
盛氏は永禄四年、四十一歳で隠退し、止々斎(竹岩)と号したが、跡を継いだ十七代盛興が天正三年、二十九歳の若さで病没したため、盛氏は再び黒川城に帰り、老躯に鞭打って政務を執った。