北海道・東北の武将「蘆名盛氏」・・・その6
盛氏像は会津若松市宗英寺に安置されています。
藍名家十八代を継いだ二階堂盛隆は、藍名、二階堂両家の総領の立場にあったので、両家兼任の形で政務を執行しました。
ところが天正十二年秋、寵臣大庭三左衛門のために黒川城内で斌逆され、盛隆は二十四歳の若さで散りました。
その後、盛隆遺児、亀王丸が相続したが、これも三歳にして没して、再度、常陸の佐竹氏より入嗣したのが二十代義広(盛重)です。
義広もまた天正十七年六月、摺上原において伊達政宗と戦い敗亡しました。
のちに常陸江戸崎に四万五千石で封ぜられ、やがて没領、という相次ぐ悲運の中で藍名氏は滅亡しました。