« 2010年05月 | メイン | 2010年07月 »

2010年06月 アーカイブ

大崎義隆

口天文十七年(一五四八)生
口慶長八年(一六〇三)没
戦国大名。

陸奥名生城主。

大崎氏十三代、最後の当主です。

大崎氏は斯波家兼を祖とする足利氏・奥州探題職の直系です。

南北朝抗争期に奥州に入り、所領は『大崎実記』などには大崎五郡三十五万石と書かれています。

義隆は十二代義直の嫡男。

左衛門督。

室は葛西隼人常時の娘。

天文・永禄年間頃には伊達氏の馬打ち領となり威勢が振いませんでしたが、義隆の時代に入ると、最上義光の後援でやや自主独立の風潮が見られました。

天正十六年(一五八八)の伊達軍の大崎領侵攻には大崎家主流派が決起して反撃し、これを敗りました。

しかし、翌十七年には伊達家に服属、同十八年の豊臣秀吉の小田原の陣には不参し、領地を没収されます。

義隆は同年八月十九日、中新田(宮城県加美郡中新田町)から最上路を経て上洛し、秀吉の命により上杉景勝付きとなり、慶長八年会津において没しました。

行年五十六歳。法名は融峰広祝。

小野寺義道

口永禄九年(一五六六)生
口正保二年(一六四五)没
出羽横手城主。

小野寺氏十四代目。

出羽小野寺氏最後の当主です。

十三代輝道の次男。

孫十郎。

遠江守。

天正十八年(一五九〇)春、豊臣秀吉の小田原陣に降り、仙北の上浦郡三万一千石の安堵を得て、近世大名の道を開いた。

その後、同十九年の「九戸政実の乱」にも出兵しました。

朝鮮の役には名護屋へ参会しました。

しかし、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦では、徳川家の再三の要請にもかかわらず、義道は遂に出兵せず、上杉景勝に同盟したと見なされ、最上軍の攻撃を受けました。

同六年正月、小野寺家は改易となり、義道らは石州への流罪が決定しました。

津和野藩(島根県)坂崎出羽守勝正に預けられます。

About

2010年06月にブログ「憧れは武将」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年05月です。

次のアーカイブは2010年07月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

Tomcat

Tomcatサポート、Tomcat保守、Tomcat関連サービスに関する特設サイトです。

登山

iCi 石井スポーツはアウトドアーの楽しさ、美しさを提案します。身も心も開放してくれる自然と出会うために、週末はちょっと足を伸ばして気軽に非日常的な感覚を楽しみたいものです。快適に、そして安全に、つかの間の一日を過ごすために最低限の基本装備をしっかり揃えることができる登山とスキーの専門店です。ウォーキングからエベレストまでサポートいたします!

洗濯代行

きれいが違う!ベクセルクリン25で洗う【全国宅配】宅配 クリーニング・保管 クリーニング・洗濯代行(送料保管無料)

物流倉庫

発送代行や物流倉庫をお探しなら、ネットショップ専門の物流倉庫会社に無料で一括見積依頼できる「EC物流倉庫ナビ」!ネットショップ・通販梱包発送、発送代行、通販物流、出荷代行、物流アウトソーシングの業者を無料でご紹介します。