ゴッホの人生 5
パリへやって来たゴッホについて、テオの妻ヨハンナは、
「わたくしは病人を予想していた。
しかし、ここに立っているのは、健康そうな顔色をして、微笑を浮べ、非常に決然とした様子を見せた、たくましい、肩幅の広い男だった。
自画像のなかでは、画架を前にした像が、この時期の彼にいちばん似ている」・・・と語っています。
部屋へ入ったゴッホは、テオと並んで、自分と同じくフィンセントと名付けられた赤ん坊を眺めていましたが、「2人とも眼に涙を浮べていた」ということです。
テオのもとで、4日間滞在したのち、彼は、オーヴェール・シュル・オワーズへたちました。
ゴッホは、テオの子供をひどくかわいがったということです。
義妹に対して、やさしさといたわりにあふれた手紙を書いています。
しかし、サン・レミからやって来たこの病んだ画家にとって、弟一家の生活を眼にしたことは、彼が意識した以上に、その心の傷口を鋭く開くものだったにちがいないでしょう。
かつて、ヌエネンにいたとき、彼は弟に、
「君はぼくに妻を与えることは出来ない。
子供も与えることは出来ない。
仕事も与えることは出来ない。
金は・・・出来る。
だが、ぼくが、妻も子供も仕事もなしにやってゆかねばならぬとしたら、金が何の役に立つこか」。
・・・と書きましたが、以後、6年たち、事態は何ひとつ変ってはいません。
いっそう悪化しているほどです。
「ぼくの生活は根っ子からやられており、ぼくの足どりもまたよろよろしている」のです。
自分が彼らにとっての「呪うべき重荷になっているのではないか」という思いが、彼をとらえます。
しかし、今さら他にどうすればいいのでしょうか。